2016年度、スリーボンドは引き続き申ジエプロ・陳志忠プロのメインスポンサーとして支援します。
申ジエプロは「日本LPGAツアー(日本女子プロゴルフ協会ツアー)」を中心に出場し、悲願の賞金女王を目指します。陳志忠プロは「日本PGAシニアツアー」と「台巡賽(台湾PGAツアー)」を中心に出場し、来年もシード権を獲得できるようランキング上位を目指します。二人の活躍にご期待下さい。
2016年度、スリーボンドは引き続き申ジエプロ・陳志忠プロのメインスポンサーとして支援します。
申ジエプロは「日本LPGAツアー(日本女子プロゴルフ協会ツアー)」を中心に出場し、悲願の賞金女王を目指します。陳志忠プロは「日本PGAシニアツアー」と「台巡賽(台湾PGAツアー)」を中心に出場し、来年もシード権を獲得できるようランキング上位を目指します。二人の活躍にご期待下さい。
生年月日 | 1988年4月28日 |
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身長 | 156cm |
血液型 | A型 |
出身 | 韓国 |
ゴルフ歴 | 11才から |
師弟関係 | 全 賢智(ジョン ヒョンジ) |
出身校 | 延世(ヨンセ)大学校(韓国) |
趣味 | 旅行・音楽鑑賞・読書 |
2015年 |
日本LPGAツアー3勝 賞金ランキング3位 (優勝トーナメント:サイバーエージェントレディスゴルフトーナメント・ニチレイレディス・LPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ) |
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2014年 |
日本LPGAツアー4勝 賞金ランキング4位 (優勝トーナメント:ニチレイレディス・meijiカップ・ニトリレディスゴルフトーナメント・マンシングウェアレディース東海クラシック) |
2013年 | 米国LPGAツアー1勝 |
2012年 | 米国LPGAツアー2勝 |
2010年 | 韓国LPGAツアー1勝(通算20勝)*名誉殿堂入り:永久シード権獲得, 米国LPGAツアー2勝,日本LPGAツアー1勝 |
2009年 | 米国LPGAツアー3勝(新人賞 賞金女王 年間最多勝 受賞), 日本LPGAツアー1勝 |
2008年 | 韓国LPGAツアー7勝(MVP 賞金女王 年間最多勝 受賞), 米国LPGAツアー3勝,日本LPGAツアー1勝 |
2007年 | 韓国LPGAツアー9勝(MVP 賞金女王 年間最多勝 受賞) |
2006年 | 韓国LPGAツアー3勝(新人王 MVP 賞金女王 年間最多勝 受賞) |
1999年、11歳でゴルフを始め、5ヶ月後に初勝利を飾る。2005年、韓国LPGAツアーの「SKエンクリーン招待」で17歳のアマチュアながらツアーで初勝利した。2006年にはプロに転向し、韓国LPGAツアーで7勝したほか、その活躍は海外に広がり、米国LPGAツアーでは3勝をあげた。特に「全英リコー女子オープン」で記録した1勝は、メジャー初勝利であった。日本LPGAツアーでも「ヨコハマタイヤPRGRレディスカップ」で日本での初勝利をあげた。2009年には米国PGAツアーへ本格参戦し、「HSBC女子チャンピオンズ」で優勝するなど3勝をあげ、米国LPGAツアー新人賞、賞金女王などを受賞した。2010年5月には初めて世界ランキング1位の座についた。2013年から日本LPGAツアーを中心に活動し、2014年は4度の優勝を飾り、賞金ランキング4位を獲得。「マンシングウェアレディース東海クラシック」での3連続バーディーによる逆転劇はゴルフファンの中で熱く語られている。2015年からスリーボンドホールディングスがメインスポンサーとなり、ワンランクアップの賞金ランキング3位に輝く。2016年も継続し韓国、アメリカに次ぐ、悲願である日本での賞金女王を目指す。
生年月日 | 1958年6月24日 |
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身長/体重 | 177cm / 72kg |
血液型 | O型 |
出身 | 台湾 |
ゴルフ歴 | 10才から |
師弟関係 | 陳 清波 |
出身校 | 林口初等中学卒 |
趣味 | 音楽鑑賞・水泳 |
2015年 | いわさき白露シニアゴルフトーナメント |
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2014年 | 高雄オープン(台湾PGAツアー) |
1991年 | 宇部興産オープン:宇部カントリー倶楽部 |
1992年 | ジュンクラシック:尾崎将司選手とのプレーオフで優勝 |
1993年 |
三菱ギャラントーナメント:大洗ゴルフ倶楽部 KBCオーガスタゴルフトーナメント※:芥屋ゴルフ倶楽部 (※前年の1992年は兄の陳 志明選手が優勝) |
1987年 | ロサンゼルスオープン |
1982年、「札幌とうきゅうオープン」の優勝を皮切りに数多くの優勝を重ね、その他多くの試合も常に上位に入り優勝争いを幾度となく演じた。以後アメリカでも活躍。1983年、米国PGA「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」。スリーボンドとの契約が始まった1985年「全米オープン(オークランドヒルズ)」2位。この時は陳志忠選手の「二度打ちの悲劇」は有名だが、それとともにオープン市場史上唯一のダブルイーグルとコースレコードタイの「65」も忘れてはならない。結果は惜しくも一打差で2位となったが、東洋人がメジャートーナメント優勝に最も近づいた瞬間であった。1987年、「ロサンゼルスオープン」優勝のほか日本ツアーでは計5回優勝。そして2014年は高雄オープン(台湾PGAツアー)で世界最高齢レギュラーツアー優勝を飾り、日本PGAシニアツアーでもシード権を獲得。2015年は長年のゴルフ界への貢献が高く評価され、台湾PGAの会長に就任。
台湾後輩プロの育成に力を注ぎ、今まで台湾には無かった、レギュラーツアーへの登竜門として
「ThreeBond TPGA(台湾プロゴルフ協会) Challenge Tour」を開催。そのような多忙を極めるなか、プロゴルファーとして最終戦「いわさき白露シニアゴルフトーナメント」で優勝を果たし、見事賞金ランキング10位を獲得。その実力は衰えを知らない。2016年も継続し台湾PGA会長の職務を行いながら、日本PGAシニアツアー・台湾PGAツアーへも精力的に参加し、賞金ランキング上位を目指す。