HISTORYHISTORY

スリーボンドレーシングの歴史

明日のトップドライバーを目指す若手育成カテゴリーであるとともに、世界共通規則に則ったインターナショナルカテゴリーであるF3。そのF3とスリーボンドの関係は、2000年に日産の量産車用SR20DEエンジンをベースとし、東名エンジン、梅田チューニングショップの協力の下「スリーボンド・ニッサンエンジン」を開発、「スリーボンドレーシング」として全日本F3選手権に参戦を開始したことに端を発します。
参戦初年度の2000年はドライバーに土屋武士選手を起用。初のシーズンをランキング9位で終えると、翌年には井出有治選手をドライバーに擁し、ランキング5位を獲得。2002年の富澤勝選手を経て、2003年にはイタリア人ドライバーのパオロ・モンティン選手を起用して第7戦(ツインリンクもてぎ)で待望の初優勝を飾ると、翌第8戦でも見事連勝、ドライバーランキング2位と大きな躍進を果たしました。
さらに2004年にはファビオ・カルボーン選手と柳田真孝選手を起用し、本格的な2台体制を構築。2005年には横溝直輝選手、パオロ・モンティン選手という強力な布陣で年間6勝をマーク。チーム部門、エンジンチューナー部門でともにランキング2位を獲得するなど、トップチームとしての地位を確固たるものとしました。
以後、マルコ・アスマー選手、安田裕信選手らを起用し激闘の全日本F3選手権を戦ったチームは、2010年に関口雄飛選手を起用しドライバーランキング2位を獲得すると、2011年には安田裕信選手を再び起用し、最終戦までドライバーチャンピオンを争うも、惜しくもドライバーチャンピオンを逃したものの、念願だったチームチャンピオンを奪取しました。
この勢いを駆ってスリーボンドレーシングは、翌2012年よりイギリスのT-SPORTとともに「ThreeBond with T-Sport」として、ヨーロッパへと戦いの舞台を移すことになりました。
2012年、ニック・マクブライド選手を起用したThreeBond with T-Sportはドライバーランキング10位を獲得。2013年はウィリアム・ブラー選手からアレキサンダー・シムス選手へとドライバーを交代しつつもチームランキング5位を手にしました。
2014年以降、量産エンジンをベースとするレギュレーションが撤廃されるなど大きなエンジン規定の変更を受け苦しい戦いとなるものの、F3世界一決定戦では2014年にニック・キャシディ選手を擁して3位、2016年には山下健太選手を起用して4位と着実な成果をあげ、5年間のヨーロッパ挑戦にひと区切りをつけ、2017年より全日本F3選手権に戦いの舞台を戻すことになりました。復帰初年度から優勝を目指すためには優秀なドライバーを必要と判断し、国内だけでなく海外の有望若手ドライバーを調査。若干16歳でマカオグランプリ出走を果たし、過去2年間ヨーロッパを中心に競われるGP3で優勝経験を持ち、フェルナンド・アロンソの再来とも言われる、スペインの若手有望株アレックス・パロウ選手(20歳)と共に戦いました。期待通りアレックス選手は、開幕戦となる岡山国際サーキットでの第1戦、第2戦でポールポジションを見事獲得し、第2戦で早くも初勝利をあげ、その後は第3戦から第6戦まで連続表彰台獲得と2勝目をあげ、そのままチャンピオンを目指して突き進んで行くことが期待されました。しかしながらスリーボンドレーシングとアレックス選手の躍進に、他チームも黙ってはおらず、中盤戦以降は高星選手や坪井選手といったF3経験豊富な陣営の巻き返しにあい、シリーズランキングはドライバー、チームとも3位で終えることになりました。今年は昨年の経験を活かし、チームの総合力を上げ全力で活動して参ります。